救急車に乗り、長くは生きられないと思った日【死を感じて生きなければいけない話】

 
 
前回、毎日更新できるかみててください、人生を必死に生きろみたいなことかましたんですけど、見事にできませんでしたね笑
今回はそのいい訳というか、どうしてあんな宣言しておいてできなかったのか

それは救急車のったからです
 

不整脈からの脳梗塞の確立0.57%???

 


ぼくは小学生の頃から不整脈持ちです。不整脈っていうのは一定のリズムで刻まれる心臓の鼓動が不安定になることです。
主に頻脈っていって、激しい運動をした後になる心臓のバクバクがずっと続くみたいなのが僕のパターンでした

中学生の時に一度検査して、その時は経過観察ってことで特に治療もせずその後に落ち着いたので放置していたのですが
10年ほど経った今、久しぶりに頻脈が起きて、しかもなかなか治まらないので

俺より心配してくれた彼女が、絶対に病院へいけというのでしぶしぶ循環器科を受信すると、、、

心房細動っていうよろしくないタイプの不整脈でした。詳しくはどうでもいいので割愛します。
それで循環器科クリニックの人がもっと大きい病院を紹介してくれて、電車で行くのもいいけどその間に倒られたら嫌だからと救急車に乗せられました
 

人生初の救急車。

 


ぼくの心房細動っていう不整脈だと脳梗塞になる確率は0.57%って言われた後に救急車に乗ると嫌でも「死」を感じました

あぁもう長くは生きられないのかと
 

死を感じるということ

 


大げさですが、死を少し身近に感じました。
 

いつとはわからないけど、死が近いとなるとそれまでにやることをやろうっていう意識になります。では、おれが真にやりたいことはなんだろう。

でも、特にでてきませんでした。あれをこれをやり残したなんてことは考えつきませんでした。たぶん真に身近に死を感じることができていないからでしょう。
 
 
ただ、やりたくないことを我慢してやっている時間って本当にもったいないし、意味がないなっていう想いは何倍にも強くなりました。今後、いつふと死ぬかもわからないのに
我慢して生きているなんてあほらしいです。
 

自分なりの死生観を持とう

 


死生観とは死あるいは生死に対する考え方。また、それに基づいた人生観。 (三省堂より)
 

ヒンドゥー教などは死を解脱の手順と考えていたりしますから、死は終わりではありません。でも、僕たちのほとんどは死は終わりです。
でも、その終わりに対して明確な準備をしてきていないから、死を前に後悔をします。

今回、救急車に乗ってから死生観というか明確に死を意識した人生観を持つべきだなと強く感じました。

自分は死んで、この世から消えるのだけどどうしたい?
何を残したい?何も残したくない?記録?実績?記憶?

それを考えると自分がしたいこと、為すべきこともみえてきます。
 
一番やってはいけないのは、終わりを考えずただだらだらだと生きることです。それなら一度死んでリスタートぐらいのほうがましです笑
 

おわりに


とりあえず僕は普通の人より突然死するリスクが高いです。なのでっていったら変ですけど、やりたいことをやって、やりたくないことはやらない。これをもっと徹底していきたいと思います。みなさんにも徹底していってほしいです。
 

やりたくないことをやらないのは、他人と違うからっていう不安や自分で考えて生きていかなければいけないっていうのが嫌だって思う人もいるとは思いますが
本来、人間自分一人で生きていくべきだとは思いませんか。社会が作ったルールやレールに一切頭使わず乗っかって、やりたいことしたい、もっと遊びたいっていう方がアホです。
社会の奴隷から脱したいなら、努力が必要です。

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